平澤茅邨(ひらさわ・ぼうそん)

明治21年、茅野市宮川西茅野平沢重左衛門の次男として生まれる。小学校卒業後、農業に従事、傍ら独学をもって漢籍を修め、古今の史学を研究した。漢詩は北沢湖民に就いて学び、当時の吟客横川三松、三輪芳村、小松雪軒、宮下宗碩等と共に、作品を新聞紙上に発表。また東都の詩人三島中洲、股野藍田、久保天随等と交遊した。36歳の時、推されて宮川村長となり、自治行政にも幾多の功績を挙げ、のち保険業界に入りて貯蓄増進にも貢献した。老来、漢詩は土屋竹雨の主宰する「東華」に発表。さらに詩吟と地方史の研究を続けた。

『諏訪雅人伝』,『続・諏訪雅人伝』,『漢詩生涯七十年』(甲陽書房),『茅野市の観光』(甲陽書房),『茅野市靖国忠魂録』(甲陽書房),『信濃五百八景』(甲陽書房)ほか。

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