山崎以津子(やまざき・いつこ)

石川県小松市八幡在、九谷焼窯元山崎幡山堂亡山崎三郎平の五女として、大正9年出生。
昭和41年処女作『九谷の肌』、同42年第2部『女の炎』を甲陽書房から刊行した。昭和43年夏、『女の炎』が、早川恒夫演出、森光子・堀雄二主演「恋しかるらん」の題名で日本テレビによってドラマ化され、全国に放映された。

『九谷の肌』(甲陽書房),『女の炎 -九谷の肌 第2部-』(甲陽書房),『九谷女絵図 -九谷の肌 第3部-』(甲陽書房)ほか。

山田国広(やまだ・くにひろ)

明治40年 長野県諏訪郡上諏訪町生まれ。
大正13年 県立諏訪中学校(現・清陵高等学校)卒業。
大正13年 4月永明小学校代用教員となる。
昭和8年 2月6日検挙(教員赤化事件)。
昭和9年 12月15日下獄。
昭和11年 4月29日釈放。
昭和12年 3月上京。思想犯保護団体帝国更新会に入り、後そこの事務員となる。
昭和17年 このころから東京の目黒、蒲田当の町工場の徒弟教育の仕事に従事し、戦時中それらの工場の舎監、青年学校の事務に従事した。
昭和19年 5月長野県諏訪市豊田に疎開し、疎開工場に勤務、敗戦を迎えた。
昭和21年 1月から昭和36年4月まで、政治運動、民主化運動に従う。
昭和41年 3月以来、郷里にて著作ならびに画業に専念。
昭和42年 戦前の弾圧記録『夜明け前の闇』を理論社から刊行。
昭和45年 『夜明けの嵐』を甲陽書房から刊行。

『夜明けの嵐 -一共産党員の痛憤の手記-』(甲陽書房),『夜明けの霧 -抵抗か?屈辱か?-』(甲陽書房),『岩波其残』(甲陽書房),『郭公よ声高く啼け -藤森成吉先生の文学碑建設によせて-』(甲陽書房),『"辰野事件"の真相』(甲陽書房)ほか。

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※ 物故者も掲載しております。